広島高等裁判所 平成3年(ラ)54号 決定 1992年9月09日
抗告人 小田竹人 ほか六名
相手方 国
代理人 大西嘉彦 比嘉俊雅 ほか七名
主文
本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人らの負担とする。
理由
一 抗告の趣旨は「原決定を取消す。本件を広島地方裁判所に差戻す。」との裁判を求めるというにあり、その理由は別紙準備書面記載のとおりである。
二 当裁判所の判断
1 本件仮処分の適法性の有無について
抗告人らは本件バイパス建設予定地あるいはその周辺に居住している住民であるが、かかる住民が、人格権に基づく本件バイパス工事差止請求権を被保全権利として、相手方が本件バイパスの道路予定地の売買契約をし、あるいは、道路建設工事を行うことを、仮処分により差し止めることが出来るかどうかについては、行政事件訴訟法四四条との関係が問題となる。
一件記録によれば、平成二年一一月一三日道路法(昭和二七年法律第一八〇号)一八条一項の規定により、広島県山県郡戸河内町大字上殿字鍛冶屋通六三〇番四地点より、同郡加計町大字下殿河内字西堀一七九番一地先までの国道一九一号線の道路区域を変更する旨広島県告示第一一四一号をもって告示され、その敷地の幅員、延長距離等が明示され、その用地部分を特定する関係図面等が縦覧に供されたことが認められる。
右道路区域決定(区域変更)により、道路の建設予定地が客観的に特定されるばかりでなく、道路法九一条には、道路の区域決定(区域変更)がなされると、その後道路の供用が開始されるまでの間は何人も道路管理者の許可を受けなければ、当該土地の形質を変更し、工作物を新築し、改築し、増築し若しくは大修繕し、又は物件を付加増置してはならない旨の定めがあり、また、同法九六条五項には、道路管理者が許可の申請書を受理した日から三〇日を経過してもなお何らの処分もしないときは、申請人は道路管理者がその許可を拒否したものとみなして不服申立てをすることができる旨定めているところであるから、右道路区域決定(区域変更)は具体的な行政処分としての成熟性を備え、国民の権利義務に直接影響を及ぼすものであって、公権力の行使に当たる行政処分にあたることは明らかなものといわなければならない。
ところで、抗告人らの本件仮処分申請は本件バイパス道路予定地の売買契約及び道路建設工事の禁止を求めるものであるが、本件国道一九一号線バイパス道路の建設事業は、右道路区域決定(区域変更)、建設用地の取得、建設工事、供用開始等の手続を経て行われるものであって、これら一連の過程は不可分一体のものであるから、もし右売買契約或いは道路建設工事を禁止する仮処分を認めるときは、右道路区域決定(区域変更)を有効なものとして道路用地の取得或いは建設工事等の手続を進行することができなくなり、事実上行政権の作用を阻止する結果となり、右仮処分により右道路区域決定(区域変更)の効力が無に帰することは明らかである。
しかるところ、行政事件訴訟法四四条は、「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為については、民事保全法に規定する仮処分をすることができない。」旨規定している。右立法の趣旨は、行政の目的の適正、迅速かつ確実な実現を確保するために、行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為について、仮処分をもって直接その行政権の作用を阻止することを認めない趣旨と解される。
同条の趣旨に鑑みれば、本件バイパス道路の建設事業の如く、その行政目的実現のために不可分一体と認められる一連の過程を個々に分断して仮処分の可否を考察することは相当でなく、その一部について差止めの仮処分を認めることにより、事実上行政権の作用が阻止され、その結果、先行の公権力性を有する行政処分の効力を無に帰するような場合には、原則として右差止めの仮処分は許さないものと解するのが相当である。
そうすると、本件バイパス道路の予定地の売買契約及び道路建設工事には公権力性がないとして、その差止めを求める仮処分は許されず、抗告人らの本件仮処分申請は、前記行政事件訴訟法四四条の立法趣旨等に照らし、不適法といわざるを得ない。
2 なお、付言するに、抗告人らは、本件仮処分が適法なことを前提に、本件バイパス建設の結果、自動車の騒音、排気ガス、振動、粉塵、夜間照明等により、抗告人らの生命、身体、健康が脅かされ、しかも、右被害は一般に受忍する限度を超えることになる旨主張する。しかし、仮に、本件申請が適法であるとの立場を採ったとしても、本件バイパス建設の結果、抗告人らに受忍限度を超える被害が発生することの疎明がなされなければ、本件申請は却下を免れないところ、一件記録を検討するも、かかる疎明は充分でない。その理由は、次のとおり削除、訂正するほかは、原決定一〇枚目九行目から同一四枚目九行目の「認められない。」までの記載と同一であるので、これを引用する。
(一) 原決定一二枚目九行目の「そして、」から同一九行目までを削除する。
(二) 同一二枚目末行及び同一三枚目一行目までを「以上の騒音の法規制等を踏まえて、本件バイパス完成後に予想される抗告人らの被害の状況をみてみると、次のとおりである。」に改める。
(三) 同一三枚目四行目の「とは認められない」を「との疎明はなされていないというべきである」に、同一四枚目八行目から九行目にかけての「ものとなるとは認められない」を「ものとの疎明はなされていないというべきである。」にそれぞれ改める。
三 結論
以上の次第で、抗告人らの本件仮処分申請は、いずれにしろ却下を免れないところ、これと結論において同旨の原決定は相当である。よって、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、抗告費用の負担につき民事保全法七条、民事訴訟法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 新海順次 小西秀宣 難波孝一)
別紙 準備書面 <略>
【参考】第一審(広島地裁 平成三年(ヨ)第四二号 平成三年九月一七日決定)
主文
本件申立てを却下する。
訴訟費用は債権者らの負担とする。
理由
第一争いのない事実
債務者を事業主体として国道一九一号線の道路改良工事(本件バイパス事業という)が計画されている。このうち、上殿・高下地区における事業計画は、図面のとおりである。この計画に従って、平成二年一一月一三日に道路の区域変更決定がされている。債権者らは、いずれもこのバイパス予定地周辺の住民であり、その住居は、図面のとおりである。
第二債権者の主張および申立て
債権者らの主張は、要するに、本件バイパス建設は、債権者ら沿道住民にとって騒音、排気ガス、粉塵、振動、夜間照明、生活空間の圧迫、眺望権の侵害という公害発生の蓋然性が高いことは明らかであり、これらの公害発生は、債権者らの生命、身体、健康を脅かすものであるから、債権者らは、人格権に基づき建設工事の差止請求権を有する、というものである。
そして、債権者らは、債務者に対して、第一次的に、本件バイパス事業のうち、図面赤斜線部分の土地について、道路用地の売買契約および道路建設工事をすることの差し止めを求め、予備的に、債権者らと広島県との間の広島県公害審査会平成元年度(調)第三号調停事件の手続きが終了するまでの間の同様の差し止めを求めた。
第三争点
道路建設によって債権者らに生じるおそれのある生活上の不利益が、沿道住民が一般に受忍すべき限度を越え、その建設の差止めを求めるに足りるほどの重大なものといえるかどうかが争点である。
第四裁判所の判断
当裁判所は、本件バイパス建設によって、債権者らが、騒音振動等、ある程度の生活上の不利益を受ける可能性があるとしても、そのような不利益は、沿道住民が一般に受忍すべき限度を越えるものではなく、したがって、債権者らには、本件バイパス事業の差し止めを求める権利はないと判断した。その理由は次のとおりである。
一 道路建設に伴う騒音振動等の沿道住民の生活上の不利益が受忍限度を越えるかどうかの判断基準について
沿道住民が、道路の建設によって生じる騒音振動等の生活上の不利益を理由に道路の建設の差し止めを求めるためには、その不利益が、一般に受忍すべきものとされる限度を越えるものでなければならない。これは、道路建設によってもたらされる公共の利便、沿道住民の不利益の内容、程度などを総合して判断される。
ところで、債権者らが本件バイパス工事によって発生する蓋然性が高い公害であると主張する生活上の不利益のうち、生活空間の圧迫および眺望権の侵害を除いた騒音、振動等の主な不利益は、いずれも道路建設そのものから直接発生するものではなく、道路が公共の自動車交通の用に供されることによって発生することが予想されるものである。このような騒音振動等の沿道住民の生活上の不利益は、自動車交通という公共の利便の代償の性格を有する。しかも、道路は、その性質上、地域内の交通だけではなく、異なる地域を連絡する交通の手段でもあるから、道路の恩恵をそれほど享受しない地域においても、通過交通を主体とする公共の利便のために騒音等の不利益を多くの沿道住民が受忍しているのが現実である。また、沿道住民の受ける騒音振動等の不利益は、道路の建設それ自体から発生するものではなく、その発生の有無および程度は、個々の自動車の発生する騒音等の量、通行する自動車の数量、道路の構造、運転者の運転態度等の様々な要素によって規定されるものである。したがって、沿道住民の受ける騒音等は、自動車や道路の構造に関する技術や設備の進歩や規制の内容等により、現在および将来においても左右されるのに対して、道路の建設の差し止めは、将来にわたる道路の建設そのものを不可能にする重大な効果をもたらす。他方で、道路は、社会資本の中で最も基礎的なものであり、建設後長期間にわたって公共の用に供されるものであるから、その間には、道路の整備等による沿道地域の発展や経済社会の変動によって、建設当時に予期しなかった効用を道路がもたらすこともある。
以上のような、道路の公共性やそのために多くの沿道住民が現実に騒音等の不利益を甘受していること、騒音等の対策の多様性とこれに対する建設差し止めの効果の重大性、道路の社会基盤としての重要性などを前提とすると、道路の建設に全く公共性の認められない場合など極めて例外的な場合を別として、通常の場合であれば、沿道住民が、道路の建設およびこれに引き続く自動車交通に伴う騒音振動等の生活上の不利益を理由に道路の建設の差し止めを求めるためには、その不利益が一般の沿道住民の受ける不利益と比較してそれ自体極めて重大なものであって、しかも、建設予定の道路の沿道住民が、一般の沿道住民と比較して、特別に自動車交通に伴う騒音等の不利益から保護されるべき法的な地位を有するなど、沿道住民の不利益を重視すべき特別な事情が認められ、このような特別な事情に鑑み、道路の建設によって発生が予想される沿道住民の騒音等の不利益が、それによって公共の受ける利便(道路の公共性)を明らかに上回ると認められるような場合でなければならないと考える。
そして、建設差し止めの効果の重大性や基礎的社会資本である道路の性格を考慮すると、差止請求における受忍限度を判断するに当たって、公共性の程度や道路整備の必要性を、現在の交通需要など現在明らかになっている要素だけから正確に判断することは、必ずしも容易ではないし、適当であるともいえない。したがって、沿道住民の受ける不利益が、道路の公共性を明らかに上回ると認めるには、道路の公共性に対するこのような判断の困難性を前提としても、なおその不利益が公共性を上回ることが明白であるといえるような場合であることが必要であると考える。
二 本件バイパス事業の公共性について
本件バイパス事業の公共性に関する債務者の主張は次のとおりである。
本件バイパス事業は、戸河内町大字箕角地内を起点とし、加計町高下地区を経て同町堀地区に至る延長三・六kmの道路を建設しようとするものである。一般国道一九一号は、広島市と島根県益田市とを結ぶ幹線道路であるとともに、本件バイパス建設区間は、中国自動車道戸河内インターチェンジから加計町を経由して島根県浜田市に至る幹線道ともなっている。そのため普通自動車の通行ばかりでなく、トラック等の大型車の通行も多い区間である。しかるに、この区間における現在の国道一九一号は、沿道に住宅が密集しているとともに、道路の幅員も六~七mと狭く、交通安全上必要な歩道も十分に設置できていない状況にある。また、当該区間内の加計町上堀においては国道とJR可部線とが立体交差をしながら急カーブを描くなど、歩行者や自転車ばかりでなく、自動車にとっても危険性の高い難所があるなど、交通の安全性の劣る箇所が存在している。併せて、当該区間における国道は、戸河内町立上殿小学校の通学路にもなっているが、ほかに通学路に利用できる道路もなく、通学児童が危険にさらされている状況である。このように幹線道路における自動車の大量通行を円滑にして、その有する公益性を図るとともに、住宅密集地を狭い幅員の道路が通行することにより、歩行者および自転車等にとって通行上非常に危険な状態になっている当該区間の交通の安全性を確保するため、例えば、自動車と歩行者、自転車等を分離するため道路の幅員を拡大する必要があるなど、早期に本件バイパス建設を行う必要がある。そして、現在の国道の両側には住宅等が密集しており、これを拡幅することはできない状況であり、また、当該区間の地理的条件やJR可部線との関係で、現在の国道に合わせたルートでのバイパス建設は非常に困難である。
加計町高下地区の住民にとって、県道中筒賀下線およびこの県道から国道一九一号に至る堂見橋および町道は、生活全般にわたって利用される路線であるが、県道は幅員も狭く、道路改良が進んでいない。堂見橋も老朽化し、自動車の離合もできないような状況にある。そのため、本件バイパス建設は、高下地区の住民にとって日常生活全般にわたってその利便性や安全性を飛躍的に高めることになるばかりでなく、現在の国道の交通量を減少させ、歩行者および自転車等の通行の安全性を確保することをはじめ、日常生活全般にわたって利便性を増すことになる。
また、過疎化が進む加計町、戸河内町にとっても道路の整備は地域産業の振興・活性化、地域間交流の円滑化、定住基盤の充実、日常生活の利便の向上につながる重要課題であり、特に本件バイパス建設計画の対象区域は、中国自動車道戸河内インターチェンジと加計町市街地を結ぶ重要路線であり、早急に道路整備をする必要がある。
しかも、加計町、戸河内町は、過去幾度となく災害にみまわれており、現在の道路事情では、災害時に高下地区は交通が分断され、孤立化することが容易に予想される。しかし、本件バイパス建設によって、そのような事態を回避し、併せて、加計町と戸河内町の間の交通を確保することができる。
債務者の主張する以上のような本件バイパス建設の公共性、必要性は、債権者も特に具体的に争っていないし、加計町が本件バイパスの建設を陳情していること(<証拠略>)、債権者小田竹人を部落長とする高下部落の住民が昭和四八年六月には既に堂見橋を大型自動車の通れるような永久橋にすることを加計町に陳情していること(<証拠略>)などによっても裏付けられているので、このような証拠と審尋の全趣旨から認めることができる。
債権者らは、高下地区の住民が要望していたものは、新しい橋の建設であってバイパスの建設ではなく、仮に本件バイパス自体の必要性があるとしても、バイパスが高下地区を通過する必要性はない、と主張する。しかし、加計町長が前記の高下地区の住民からの橋の建設の陳情(<証拠略>)に対して、「高下地区への架橋については県道の路線変更または国道のバイパスという方法で施工する努力をする」という回答を行い、この陳情を契機に国道バイパス計画が具体化したという当事者間に争いのない本件バイパスが計画された経緯についての事実関係からすると、債務者の主張するように、本件バイパスの計画が、高下地区の住民の架橋の要望に応えることをも主な目的の一つとして、そのために現実的に可能な唯一の方法として選択されたものと認めるのが相当である。そして、架橋の必要性、公共性が認められることは既に述べたとおりであって、その方法が国道のバイパスという方法になったことは、沿道住民の不利益の程度を左右する事情とはなっても、高下地区への架橋の必要性、公共性をも全面的に否定する根拠になるものではない。
また、本件バイパスの計画は、昭和五四年一二月に最初の案を発表し、その後建設省との協議を経て昭和五五年一〇月に第二案を作成し、さらに地元住民との協議を重ねる中で、住民の要望を入れて昭和六一年三月に現在のルートを設定するという経過で行われたことは、当事者間に争いがない。しかし、計画段階でこのような時間を要したということから、本件バイパス計画に必要性、緊急性が乏しいとする債権者の主張も、採用できない。なぜなら必要性が認識されながら計画に時間をかけてきたとすれば、むしろその間に計画の必要性、緊急性が高まる場合も十分考えられるのであって、計画段階に時間を要したことが、直ちに計画の必要性、緊急性を否定する根拠にはならないからである。
三 債権者らが騒音等の沿道に生じる不利益から特別に保護されるべき法的地位を有するかどうかについて
沿道住民の受ける不利益のうち最も重大かつ深刻な影響をもつものが騒音であろうことは容易に推測される。そして、騒音についての、法律の規定は、次のとおりである。
まず、公害対策基本法九条は、政府が人の健康を保護し、及び生活環境を保全するうえで維持されることが望ましい基準を定めるものと規定し、この規定に基づいて定められた「騒音に係る環境基準について」(昭和四六年五月二五日閣議決定)において、地域の類型をAA(療養施設が集合して設置される地域など特に静穏を要する地域)、A(主として住居の用に供される地域)、B(相当数の住居と併せて商業、工業等の用に供される地域)の三類型に区分し、これらの地域について、道路に面する地域であるかどうか、面する道路の車線数などに対応して環境基準が定められている。
また、騒音規制法一七条は、指定地域内における自動車騒音が総理府令でさだめる限度をこえていることにより道路の周辺の生活環境が著しくそこなわれると認めるときは、都道府県公安委員会に対し道路交通法の規定による措置をとるべきことを要請する権限を都道府県知事に対して与えている。そして、騒音規制法第一七条第一項の規定に基づく指定地域内における自動車騒音の限度を定める命令(昭和四六年六月二三日総理府・厚生省令第三号)は、指定地域を、第一種区域(良好な住居の環境を保全するため、特に静穏の保持を必要とする区域)、第二種区域(住居の用に供されているため静穏の保持を必要とする区域)、第三種区域(住居の用にあわせて商業、工業等の用に供されている区域であって、その区域内の住民の生活環境を保全するため、騒音の発生を防止する必要がある区域)、第四種区域(主として工業等の用に供されている区域であって、その区域内の住民の生活環境を悪化させないため、著しい騒音の発生を防止する必要がある区域)に区分し、これらの区域の区分と面する道路の車線数に応じて、自動車騒音の限度を定めている。
ところで、図面のとおり、債権者のうち、田中春人は、加計町堀地区に居住し、そのほかの債権者は、高下地区に居住していることは、争いがない。そして、広島県は、債権者らの居住地のうち、加計町堀地区については、騒音規制法一七条一項の指定地域の区域のうち、第二種区域に指定し(昭和四八年三月一七日広島県告示第一七一号)、さらに、公害対策基本法に基づく環境基準の地域区分のAに指定している(昭和四九年四月二六日広島県告示第三六〇号)。これに対して、高下地区は、騒音規制法一七条の適用を受ける指定地域にも、環境基準の適用を受ける地域にも、いずれも指定を受けていない。そして、ほかに、高下地区の住民が、ほかの一般の沿道住民と比較して騒音等に対して特別に法的な保護を受けられる地位にあることを根拠付ける事実は認められない。
債権者らは、高下地区の住民が、中国自動車道の開通以前は静穏な環境を享受してきたと主張するけれども、道路の建設は多かれ少なかれ利便の代償として従来静穏な環境を享受してきた地域においても騒音等の環境を悪化をもたらすものであるから、単に従来静穏な環境を享受してきたというだけでは、ほかの一般の沿道住民と比較して特別に法的に保護された地位にあることにはならない。
四 本件バイパスによって債権者らが受けることが予想される不利益の程度について
堀地区は、現在の国道一九一号の沿道にあることは、図面から明らかであるから、債権者のうち田中が、本件バイパスの建設によって格別の不利益を受けるとは認められない。
債権者のうち、本件バイパス建設によって最も大きな影響を受けると認められる栗栖久千枝についてみても、現在の中国自動車道の騒音が、高下地区よりさらに静穏な環境が必要と考えられて環境基準の適用される堀地区の環境基準を上回る測定結果を得られた場合は全くない(<証拠略>)。そして、これに本件バイパスによって増加すると予想される騒音を加えても、昼間や朝夕の騒音が堀地区の環境基準すら上回ることはなく、夜間の騒音がわずかに一~三デシベル(ホン)上回ることが予想されるに過ぎない(<証拠略>の鑑定書)。これに対して、現に環境基準の適用される堀地区に居住する債権者田中の居宅近くの地点の測定値においても夜間は環境基準を上回っており、さらに、田中の居宅はこの測定地点よりもさらに現在の国道一九一号に近接して存在することは、<証拠略>と図面との対比において明らかであるから、田中ですら、とりわけ夜間においては、現在既に環境基準をかなり上回る騒音を受けていると推測される。また、現在の一般国道や主要な地方道においては、道路に近接して住宅が立地していることは通常のことであり、それにもかかわらず、環境基準が広島県の多くの沿道における騒音測定地点において達成されていない実情からすると(<証拠略>の広島県環境白書)、これらの多くの住宅が環境基準を大きく上回る騒音を受けていることは、容易に推測することができる。
このような状況から考えると、本件バイパスが建設された後においても、高下地区の騒音の程度は、広島県内の一般的な沿道住民が受けている騒音の水準に比べて、格別に高いものとなるとは認められない。そして、このように沿道住民の不利益として最も重大かつ深刻なものである騒音について、高下地区の騒音の程度が一般の沿道住民が受けている騒音の程度に比べて格別に高いものでないとすれば、ほかに特別な事情の認められない本件においては、そのほかの自動車交通に伴う不利益についても、一般の沿道住民の受けている水準に比較して格別に高いものではないと認めるのが相当である。
なお、債権者らは、高下地区が、狭小な地区内において中国自動車道と本件バイパスによって挟まれることによる圧迫感、生活空間の侵害、眺望権の侵害等をも差し止めの根拠として主張する。しかし、そもそも道路は、個別に存在するものではなく、相互の連絡接続によって十分な効用を発揮することや、地形や道路の構造からくる制約などにより、ある程度道路が近接して存在することも珍しくないと考えられるから、中国自動車道と本件バイパスに挟まれることによって、債権者らが何らかの不利益を受けることはあるとしても、それが、沿道住民が一般に受忍すべきものとされる限度を越え、建設差し止めの根拠となる程の重大な不利益であるとは認められない。
また、債権者らは、本件バイパスの区域の設定を、経済的にも負担なく、技術的にも可能な方法で、住民の居住環境の悪化を減少させるように変更することは幾らでも考えられると主張する。しかし、道路の区域の決定は、利用者の利便を図ることを目的に、土地所有者、沿道住民等の多数の関係者の多様な利害を調整しつつ、さらに、技術的、財政的な制約をも踏まえて行われるものである。そうすると、区域の変更は、決して債権者が主張するほど容易なものではなく、技術的財政的な再検討や利用者の利便の確保の検討などのほか、関係住民の新たな利害関係の調整等の努力が必要とされることになる。そうすると、区域の変更が容易であるとの債権者の主張は、具体的な根拠を欠いているから、理由がない。
五 結論
以上のとおりであるから、本件バイパスの建設によって債権者らが受けると予想される騒音等の不利益の程度は、既存の中国自動車道によって生じているものとの競合を考慮しても、他の沿道住民が一般に受忍している騒音等の水準と比較して、それ自体格別に大きいものとは認められない。このような債権者の受ける不利益の程度を前提として、他方で、本件バイパスが、国民全体にとっても高下地区の住民にとっても、大きな利便をもたらすものであって、高い公共性が認められること、しかも、債権者ら高下地区の住民が、一般の沿道住民と比較して騒音等の自動車交通に伴う不利益から法的に特別に保護された地位を有するとは認められないことなどを総合すると、債権者らが本件バイパス建設によって受ける不利益の程度が、本件バイパスの公共性を明らかに上回り、沿道住民が一般に受忍すべきものとされる限度を越えるとは、認められない。
したがって、本件バイパス建設の差し止めを求める債権者らの申立ては、広島県公害審査会における調停手続の終了までの差し止めを求める予備的申立ても含め、いずれも保全すべき権利が認められないから、理由がない。
(裁判官 小林久起)
図面 <略>